大判例

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大阪高等裁判所 昭和31年(ラ)50号 決定 1956年3月23日

抗告人 京都府綾部市長 長岡誠

相手方 平井斐佐子

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人は「原審判決を取消す。相手方の不服申立を却下する。」との裁判を求めた。

抗告理由は別紙のとおりである。

よつて考えるに、女が甲男と婚姻をした後、これと別居し、乙男と事実上同棲中生れた子丙は、甲乙を被告とし、そのいずれかの死亡後は生存者を被告とし、、そのいずれもが死亡した後は検事を被告とし、甲、乙いずれを父とするかを確定する人事訴訟を提起することができる(昭和一一年七月二八日大審院判決、同民事判例集一五巻一五三九頁参照)。これは民法第七七三条人事訴訟法第三〇条第三二条第四項第二条第三項を類推してかように解すべきものである。

いま、本件について見るに、相手方平井斐佐子の母村岡節子(後に平井と改姓)が村岡太郎(後に久野、さらに建山と改姓、昭和一八年四月一四日死亡)と婚姻をした後、昭和六年三月事実上の離婚をなし、昭和八年二月平井治夫と事実上の婚姻をなし、同人と同棲中昭和九年九月二一日相手方斐佐子が出生したのであつて、斐佐子は前記人事訴訟を提起する前提として、家事審判法第二三条第二項第一七条第一八条第一項により、大阪家庭裁判所に家事調停の申立をしたのが、同裁判所昭和三〇年(家イ)第一八九号親子関係存在確認調停事件であることは、同事件の記録により明白である。この場合、村岡太郎はすでに死亡しているから、当時の生存者平井治夫(その後、同人も昭和三〇年八月八日死亡)を相手方として、右調停の申立をしたのは、もとより正当であつて、右家事審判によつて、斐佐子は平井治夫の子であることが確認された。而して右審判が確定すれば、確定判決と同一の効力を有し、かつ該審判は人事訴訟手続法第三二条第一八条第一項の類推により第三者に対しても効力があり、また同一人に二人の父の存在はあり得ないから、右審判は同時にその反面において、斐佐子は村岡太郎の子でないことをも確認するものというべきである。

さらに、右審判の確定により、相手方は戸籍法第一一三条により大阪家庭裁判所に戸籍訂正許可の申請をしたのが、同裁判所昭和三〇年(家)第三四五三号戸籍訂正許可申立事件であることは、同事件の記録により明白であつて、該事件において、同裁判所が申請通り戸籍の訂正を許可する旨の審判をしたのは、何等の違法がないものと言わなければならない。

しかのみならず、市(区)町村長は戸籍の届出があつたときは、届書の記載が戸籍法第一一一条第一一〇条の法定要件を具備するかどうか、添付された許可の審判書の謄本の記載と届出事項が一致するか等。いわゆる形式的審査権を有するに止まり、審判に示された事実上法律上の判断を調査検討し、その審判の当否を判断し、これを不当として、届出を不受理にする権限、いわゆる実質的審査権のないことは、当裁判所の判例とするところである(大阪高等裁判所昭和二九年(ラ)第一〇四号同三〇年一月二九日第三民事部決定、高等裁判所判例集第八巻第一号五三頁参照)。

よつて抗告人が相手方の戸籍訂正申請を不受理処分としたのはいずれの点より考えても違法であり、本件抗告は理由がないから原審判を相当と認め、民事訴訟法第四一四条第三八四条第八九条により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 田中正雄 判事 神戸敬太郎 判事 平峯隆)

抗告理由

大阪家庭裁判所は昭和三一年一月二七日「京都府綾部市長は大阪家庭裁判所昭和三〇年(家)第三四五三号戸籍訂正許可申立事件の審判に基く戸籍訂正申請を受理しなければならない旨審判を為し同月三一日抗告人はその告示を受けたがその理由前段に「戸籍訂正許可審判の基本審判である親子関係存在確認の審判は綾部市長の受理拒否理由に述べる如く平井斐佐子と平井治夫との親子関係形成効並に久野太郎との親子関係否定効ともに生じないけれども慎重審理の結果平井斐佐子と平井治夫との間の真実の父子関係を認定し、同一人に二人の父の存在はあり得ないこと、夫婦別居生活中の出生子は民法第七七二条の推定子でない見解のもとに真実の父子関係が推認せられた以上其の反射的効力として戸籍上の父子関係は否定せられたものと云うべく従つて更に審理した結果戸籍記載に錯誤ありとして為した戸籍訂正許可の審判に違法はない旨並に基本審判は本来ならば親子関係不存在確認の裁判を得てなすべきであるが戸籍上の父死亡のため手続上不能であるからやむなく昭和二五年六月一九日最高裁判所家庭局第二課長回答の趣旨による親子関係存在確認の便法によつた」と述べられている点について先づ申立人を民法第七七二条の推定を受けない子であるかについて考察するに同条は父子関係の存在に関する立証責任免除の推定規定であつて妻が婚姻中懐胎した子については一律に夫の子と推定しその推定の上当然親子関係の発生を認めているのであつて出生届出当初に於ても事実の如何に関らず嫡出でない子としての出生届出は許されない処(昭和二三年五月二二日民事甲第一〇八七号法務省民事局長回答=親族相続戸籍に関する訓令通牒録一二六、昭和二三年六月一二日民事甲七五五号民事局長回答=戸籍先例全集一四三六、昭和二五年六月二二日第八回法務府裁判所戸籍関係事務協議会=問決「戸籍」誌一五号七頁)であり戸籍上婚姻関係にある妻の出生した子は事実の如何に関りなく本条の推定を免れないと同時に婚姻解消後三〇〇日以内に生れた子も同様夫の子の推定を免れない。勿論同条が高度の推定規定であるため右の届出によつてなされた戸籍記載が真実に合致しない場合なしとしないため民法は嫡出子否認による是正規定を設け(七七四条七七五条七七七条)子の嫡出性の推定を否定するためには戸籍上の父である否認権者の否認意思の存在を要求しているのであつて(昭和一三年一二月四日大審院判決)否認の確定するまでは此の推定に従うべきである然しながら手続等に於て嫡出子否認の手続によることができない例外的の事情ある場合に限り救済策として親子関係不存在確認(前掲第八回法務府、裁判所戸籍事務協議会第二問決)裁判認知(昭和三〇年九月一七日(ニ)発第四四四号法務省民事局第二課長回答=戸籍誌第八一号二九頁)の方法が認められている処であり其のいづれが妥当であるかは別としても嫡出推定子である限り戸籍記載に父子関係上誤ありとするためには現在の父子関係否定の身分効果発生が先行しなければならないし、更に新なる父子関係が発生するためには真実の父と子の間に認知の身分効果が形成されなければならない即ち任意又は裁判認知が存することによつて初めて真実の父子たる身分関係が効果せられるのであるが右いづれの方法にもよる事のできない特殊の事情ある場合に限り現父子関係の否定方については親子関係不存在確認ができる(夫の長期不在の事実顕著なる場合昭和二四年一二月一六日法務府裁判所第四回戸籍事務協議会五問決、戸籍誌一〇号一二頁、戸籍上の父母の一方死亡後の場合昭和二七年一一月一二日第四回南関東地方家事審判官会議決=新人事法総覧追録編三-三二五の二二の四八頁)否定並に新なる父子関係の形成方については戸籍上の父死亡後生存する子との父子関係の事業に於て子の提訴による裁判認知の勝訴があれば反射的効力として否定効を伴うから両効果に基き戸籍訂正を経る(昭和三〇年九月一七日(ニ)発第四四四号法務省民事局第二課長回答=戸籍誌八一号二九頁)等の救済の途が講ぜられているのである。

本件の事案における相手方斐佐子は父太郎母節子の離婚後三九日目に当つて節子によつて出産し民法第七七二条の趣旨によつて出生が届出られ戸籍に登載せられた子で此の場合出生届出が母によつてなされ太郎自ら届出をしていないけれども当時において太郎が届出義務者としての義務を免れたものでなく身分法上の嫡出子否認の効力を有するものでもないことは戸籍法第五三条の立法趣旨に照して明かなるところで次順位の届出義務者からなされた嫡出子届出は適法であつて何等子の身分に影響をもつものではなく民法第七七二条の嫡出の推定を受ける子であることは疑を入れないにもかかわらず相手方斐佐子は上記いづれの救済方法にもよることなく平井治夫を相手方として、その子である旨親子関係存在の確認調停を申立てたのに対し、大阪家庭裁判所は、本件と全く事案を異にする、生来全く嫡出の推定を受けない子即ち虚偽の出生届出によつて戸籍に記載せられた仮の嫡出子に就て、父性母性双方を併せ否定せられる事案の場合の救済先例である昭和二五年六月一九日最高裁判所家庭局第二課長回答の趣旨を準用して審理がなされた結果直に平井治夫の子である旨の認定がなされ、同一人に二人の父の存在し得ないこと、民法第七七二条の嫡出の推定を受ける子でない認定のもとに反射的効力としての否定効の効果ありと審判せられこの基本審判に基く戸籍訂正許可の審判は戸籍記載錯誤の是正であるから何等違法はないとの原審審判理由は承服し難い、何故ならば上述の救済方法によつていないため子の推定による嫡出性を否定し新なる父子関係を形成する効力を生じているとは解せられない従つて戸籍の記載に誤りが生じているとは考えられないからである。もつとも本来嫡出の推定を受けない嫡出子については取扱を異にすべく仮令審判に誤りがあると認められる場合でもその当否に関りなく、これに基く戸籍訂正申請を受理しなければならない旨監督庁は指示している(昭和二六年一〇月五、六日第六回愛知戸籍事務研究会決議質問に対する法務省民事局長変更指示、新人事法総覧追録編三二五の二二の四七頁)のであるけれども本来嫡出性の推定を受ける子である限り本件の内容を有する基本審判が確定しても審判応当の身分効果即ち相手方斐佐子の平井治夫との父子関係を形成する認知の効力も久野太郎との父子関係を否定する効力もともに生じないと解すべく従つて戸籍の記載ぱ錯誤ではない訳であるからこの基本審判に基いて戸籍法第一一三条の手続によつて久野太郎との父子関係を訂正する事はできないと解する外はなく(昭和二八年四月二一日民事甲第六六〇号法務省民事局長回答=戸籍先例全集二七五九の三三及び昭和二八年一一月一四日民事甲第二一六〇号法務省民事局長回答=戸籍先例全集二七五九の三九)従つて戸籍の記載を訂正することを許されない内容をもつ申請を受理する事は戸籍法施行規則第二四条の趣旨にかんがみて許さるべくもなく且つ妥当とは考えられないので受理を拒んだに外ならないのであつてその後この取扱を変更する旨の消息に接していないので原審審判主文の受理命令は当らないという外はなく承服し難い。

次に原審審判理由後段に「市区町村長は戸籍法上の申請の受理不受理を決するに当つて届出の場合と同様に申請が法定の要件を具備するかどうか、申請の内容が添付書類の記載と一致するかどうかを審査する所謂形式的審査権を有するに止まり申請事項が真実であるか添付書類の記載が真実に合致するかを審査する所謂実質的審査権を有しないで形式的適法な申請は必ず受理するの外なくこれを不受理処分に付することは許されないから本申請についても同様形式的審査をしなければならない以外審判の内容が真実に合致するか、その法律上の判断が正当であるかを審査して審判の不当を理由として申請を不受理処分にすることは許されない。而して戸籍記載に錯誤ありとして戸籍訂正の許可の審判をなしたのであるからその当否を審査する事なく申請を受理しなければならない」と述べられた点について考察するに市区町村長の審査権については明文をみないが一般に形式的範囲に限定されると認められている処で異論はなく又審判、裁判の権威を冐す意思は更に有しない。一般に市区町村長が戸籍事件の届出(申請をも含めて、以下同義に解す)の受理に際しては述べられる如く届書の要件真否、添付書類との合否等事実上の判断に於て審査をしなければならないは論をまたないが更に事実上の判断に於ては届出事件に関しては戸籍の記載をも照査しなければならないし、この外民法、戸籍法その他の身分関係法令に違背しないかどうか更にこれら法令の適用、解釈に適正を期するため監督庁が幾多の通達回答、指示等の命令措置を講じているからこれらの先例に照し違背しないかどうかの法律上の判断を必要としこれらの綜合判断の上に立つて初めて受否の判断がなし得、また決定をしなければならない。而して所謂市区町村長の審査権の制約は事実上の判断に対して適用があるのであつて法律上の判断についてのものではないと解する何故ならば実質的、形式的という用語の語義が審査の方法に対して適切なる意義をもち、審査の対象に関しては当らないからである。また若し此の法律上の判断を事実審査なりと指称するならば総ての届出の受理に際し市区町村長は身分に関する実体法の適用に関する先例を照査する事は許さるべくもないから監督庁は実体法上の取扱について訓令通達、回答指示等を発する事は効果がなく、届出が戸籍の登録を前提する行為である以上公正証書としての証拠力を有する戸籍簿の記載の合法性と厳正保持は期待し得ず延いては市区町村長は斯かる見解に立つては戸籍事務管掌者としての職責を遂行する事を望み得ない事となり戸籍制度の本旨に反する結果を招来するであろう。この観点より市区町村長の審査権についての制約は事実上の判断の分野に於て形式的方法による審査権を有するに止まり、法律上の判断の面に於ては適用がないものと解する一般的戸籍事件の届出についてもそうであるが一旦公証力を発した戸籍記載を変更する性質を有する戸籍訂正申請の受理に際しては市区町村長は一層慎重なる法律上の判断を先行せしめ身分変更内容が合法性を認められずしては受否の定決をなし得ないのであつて決定に先行した法律判断に於て合法性が認められない旨の判断をしたとしても判断者である市区町村長に直接審判の当否を論ずる意思はなく事務操作の上の結果に外ならないのであるからこれを以て直に市区町村長が審判の当否を論じたものとは称し得ないであろう監督庁は仮令審判が確定したとしてもそれが不能を強いるものであればこれに基く戸籍訂正の申請を受理すべきでないとし(昭和三〇年二月二〇日民事甲第二九九号法務省民事局長回答=戸籍誌七三号三四頁一三七九)又もしこれを誤つて受理し戸籍記載をなした場合は戸籍法第二四条第一項第二項の規定による職権訂正を命じている(昭和二九年一一月二二日民事甲第二四五二号法務省民事局長回答=戸籍誌七一号二七頁)のである。本件の場合戸籍上の父子関係が否定されないまま、又新なる父子関係も形成されないまま戸籍記載に錯誤ありとして戸籍の父子関係の記載を消除する許可の審判がなされこれに基く申請があり、直に審判の当否を論ずる意思なくして監督庁の先例を参照し現戸籍記載、身分法及びこれに基く資料を照査し申請の可否を判断した事は所謂実質的審査に含まれないと解するので此の見解のもとに受理拒否の決定を拒んだのは何等違法でなく実質的審査をしたという原審審判の理由は承服できない。よつて原審審判が不服申立を理由ありとして戸籍訂正申請の受理を命ずる審判をしたのは当らない。

故に原審審判を取消しその申立の却下を求めたく抗告に及んだ次第である。

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